「日本製鉄(もと日新製鋼)跡地に軍事拠点」問題についての見解
2024年3月15日
日本共産党呉市委員会
木原防衛相は5日、呉市の日本製鉄跡地(昨年9月に操業停止)に「多機能な複合防衛拠点を整備したい」と表明しました。また、呉市と広島県、日本製鉄との4者協議の開催を申し入れました。(「しんぶん赤旗」3月6日既報)日鉄跡地はおよそ130ヘクタールで、既にある海自呉基地80ヘクタールと合せると210ヘクタール、現在の2.6倍という大拡張となります。これは安保3文書に基づく大軍拡計画の一環といえます。
「アメリカいいなり」の敵基地攻撃能力と大軍拡
岸田政権が22年12月に閣議決定した「敵基地攻撃能力の保有と大軍拡」(「安保3文書」)の背景には、米・バイデン政権が策定した中国に対する軍事包囲網づくり(「統合抑止」)があります。つまり、今の日本の大軍拡は「アメリカいいなり」政治のあらわれです。
「敵基地攻撃能力」のために、射程2千~3千キロの長射程ミサイルの購入・開発・製造を進めています。また、呉基地所属の潜水艦部隊に水中発射の巡航ミサイルを搭載し、空母化された「かが」は攻撃機(F35B)の洋上ターミナルに活用する計画です。さらに呉の兵站基地から岩国の米海兵隊、佐世保の米艦に切れ目なく弾薬や燃料、その他戦争に必要な物を補給。こういう「戦争準備」「大軍拡」路線の一環として日鉄跡地に軍事拠点をつくるというのが防衛省の計画なのです。そして、これによって他国に脅威となる「軍事大国」になることは明らかです。
3月11日の防衛省の説明会で明らかになったこと防衛省側は「呉は海田に近く、佐世保や岩国と連携しやすい重要な場所」、ここを「装備品(兵器)のメンテナンスや製造基盤の拠点」にしたい、「火薬庫も検討している」(村井総務課長)と述べました。佐世保は米艦艇の母港で、岩国は米海兵隊の基地、日米共同作戦において呉が重要な兵站の要となるということです。戦争を続けて行くためには兵站は欠かせません。また、戦争になれば兵站は真っ先に相手の攻撃目標となります。
これについて奥田議員が「呉が攻撃の的になる危険性」を質問すると、「防衛力の抜本的強化、すなわち力による現状変更を一切認めないという意思を相手に伝えることになる。抑止力を高めることが大事」(同総務課長)と答弁しました。また、「軍転法との関連はどうか」と質問すると、「軍転法は国有財産の処分についての法で、自衛隊の施設の建設を禁じたものではない。」(同総務課長)と答弁しました。
「抑止力」で平和は実現しません。「抑止力」の本質は、「恐怖によって相手を思いとどまらせる」ことです。日本が相手国に「恐怖」を与えれば、相手国も日本に「恐怖」を与えることで応えようとします。その結果、「恐怖対恐怖」「軍事対軍事」の悪循環を引き起こして、大軍拡はとどまることを知らず、国民生活はどんどん圧迫されるようになり、軍事的な緊張が偶発的なできごとで戦争になることは歴史がもの語っています。
憲法9条に基づく平和外交で相手に「恐怖」を与えるのではなく、「安心」を供与する外交こそ大切です。それを実践しているのが東南アジア諸国連合(ASEAN)の国ぐにであり、ASEANと協力して、東アジアを戦争のない地域にする「外交ビジョン」を進めることこそ、憲法9条を持つ日本がなすべきことです。
呉市民が1950年6月4日、投票率82.1%、賛成票95%で成立させた旧軍港市転換法(“軍転法”)には、「旧軍港市(横須賀市、呉市、佐世保市及び舞鶴市をいう)を平和産業港湾都市に転換することにより、平和日本実現の理想達成に寄与することを目的とする」とあり、「市長及び市民の責務」として「旧軍港市の市長は、その市の住民の協力により、平和産業港湾都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない」とあります。軍事拠点ではなく平和産業港湾都市こそ次の世代に引き継がせなければなりません。
中国にどう向き合うか
日米は中国を「仮想敵」として「戦争準備」を行なっています。しかし、日中の外交では日中両国が万が一にも戦争になることを避ける合意が何度も交わされています。
(1)2008年の日中「共同声明」で、「双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならない」と合意。
(2)2014年の日中合意で、「尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張が生じていること」について、「日中が異なる見解を有していること」と認識し、「対話と協力」を通じて問題を解決すると確認。
(3)ASEANが提唱する「ASEANインド太平洋構想」(AOIP)に双方とも賛意を表明。
日本が「アメリカいいなり」から脱却して中国と話し合いを続け、東アジアを平和な地域にしていく外交努力こそが日本の安全保障にとって大事です。
防衛省の提案に好意的な意見があることについて
「経済が活性化する」「雇用創出になる」など好意的に受け止める人もいますが、呉市の歴史をふりかえるとそうは簡単に言えません。
戦前の呉は、市街地と軍有地を行き来する軍人と工廠労働者、彼らがいるために「月々数十万円(現在の数億円)の金は呉市に落ちて十余万の市民は種々に活動」できるという、軍人と工廠労働者の消費に依存する「底の浅い消費都市」でした。(参照:川西英通「軍港都市研究Ⅲ呉編」)
また、1922年のワシントン軍縮条約で呉の海軍工廠は7000人の従業員を解雇。1935(昭和10)年にロンドン軍縮条約を脱退して軍艦建造が無制限になると呉は好景気になりました。
つまり、戦前の軍事都市・呉は「平和で失業、戦争で好景気」という「人の不幸で栄える」というまちだったのです。二度とそんなまちに戻してはなりません。今回の防衛省の提案を受け入れて「多機能な複合防衛拠点を整備」するようなことになれば、平和産業港湾都市は有名無実となり、戦前のような軍事都市(軍港市)に逆戻りです。
未来の子どもたちに恥じない行動を
いまこのまちは未来の子どもからの預かりものです。湯崎県知事は「地域経済の活性化につながる利活用を」と言っています。「地域経済の活性化」とか「雇用創出」、「自衛隊で街が潤う」などという今だけの損得勘定でまちの未来を決めてはなりません。呉市の平和な未来のためにも共闘を広げ、平和産業港湾都市の理想を実現する運動を広げていきましょう。日本共産党市委員会は市民の運動に連帯していきます。